自分たちで考えて戦い、達宣はエースとして牽引
達宣が東京オリンピックに出ると決まってすぐ、(山本)龍(東海大3年、洛南)が洛南のグループラインで「達宣決まったって!」と送ってきました。みんなで「すごいな」「おめでとう」って送り合う中、達宣も「ありがとう。頑張るよ」って。いつかオリンピックに出るような選手になるだろうとは思っていたけれど、思っていたよりずっと早かった。びっくりしました。 高校時代から達宣と僕が2人で打つ、オープンバレーが僕らの強さでした。でも普通に考えて、身長195cmのアウトサイドヒッターって、相手からしたら嫌ですよね(笑)。どうやっても上から打たれるし、何枚つこうと決められる。一緒に戦っていた僕にとっては、本当に心強い存在でした。 洛南は普段の練習も選手同士で考え、細田(哲也)先生も僕らに任せてくれていました。なので、2年生の時はオープンバレーでとにかくしっかり打つことや時間差を入れること、1年生の時(2017年)に春高で優勝した駿台学園を真似して、ミドルブロッカーの瀧田(大輔、明大21年卒)さんがサーブを打った後にそのままリベロと代わらず、後衛でバックアタックを打つこととか、いろんなことを試してきました。3年生になってからは、前衛の攻撃力を高めたかったので、あえて試合ではバックアタック禁止にしたこともあります。 全国で勝つために絶対負けない武器をつくる。そう思って普段から練習していたので、三冠(インターハイ、国体、春高)を狙った3年生の夏、インターハイの決勝で市立尼崎に負けたのは本当に悔しかった。今思えば、僕らが3年生になった年はどの試合、どの大会、どんな相手に対しても絶対に「勝たなきゃいけない」と思っていたんです。だから近畿大会、インターハイと続けて行われる中で、他校はインターハイにかける分、近畿大会はそこまで力を入れてこないところもあるのに、僕らは常にどの大会も全力。その結果、疲労もたまった状態でインターハイに臨むことになって、しかも「勝たなきゃ」と変なプレッシャーもかけていたので、ガチガチやし、バレー自体も楽しくない。達宣も決まるのは決まるけれど、楽しいというよりは苦しそうでした。 その後、吹っ切るきっかけになったのは国体です。京都選抜は基本的に洛南のメンバー中心でしたが、1人だけ、西城陽高の選手が入った。その選手が練習中も試合でも、本当にめちゃくちゃ楽しそうで、1点決まったら喜ぶし、決まらなくても苦しい顔なんてしない。俺らもこんなふうに楽しくやった方がいいんじゃないか、とみんなで話し合って、それからはとにかく楽しむことを重視しました。 結果的に国体も、春高も楽しみながら勝つことができて、最後まで達宣もエースとしてプレーで引っ張ってくれた。いい仲間に恵まれて、とても楽しい高校時代でした。
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