西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。
「あのサッカーチーム」の成長に携わる
甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。
横山:西日本新聞社の横山智徳です。
甲木:前回は、公園の中に恐竜が出てくるというとても楽しい話をお聞きしました。壮大な社会実験をされた、八幡東区のIT企業、コンピューターサイエンス研究所社長の林秀美さん、今回もお招きしております。林さん、よろしくお願いします。
林:よろしくお願いします。
横山:よろしくお願いします。
甲木:林さんには、スペースワールドという観光資源を失った北九州で、官営八幡製鉄所という世界遺産などを活用した、新たな観光コンテンツの実証実験をされていたというお話を伺いました。また、街のにぎわいや活性化という意味では林さんは、スポーツ振興にも貢献されていらっしゃいます。
横山:そうなんですか?
甲木:そうなんです。北九州の人は誰でも知っているあのサッカーチームの前身に深く関わっていらっしゃったので、今回はそんなお話からお聞きしたいと思います。
林:今言われたのはサッカーのギラヴァンツ北九州のことだろうと思いますが、そうですか?
甲木:そうです(笑)!
林:はい。実はギラヴァンツ北九州はJリーグに加盟する前は、ニューウェーブ北九州という名前で、2001年に発足しました。当時私はゼンリンという会社にいたんですけど、サッカーが大好きで、八幡製鉄所でサッカーの日本代表だった宮本輝紀さんという方がいらっしゃいまして、40歳は越えていましたが、宮本さんなどと一緒にサッカーをやっていました。
甲木:すごーい!カズみたい。
林:その宮本さんから、北九州市サッカー協会で副会長をやってくれないかと言われました。協会には民間のノウハウがないので是非お願いしたいということで、宮本さんはサッカーの大先輩ですから「わかりました」と引き受け、サッカー協会の副会長になったんです。その途端に新日本製鐵さんのサッカーチームが解散し、三菱化学さんのサッカーチームも解散し、それらを合併してニューウェーブ北九州というチームをつくるから、その代表をやってくれということになってしまいました。当時は九州リーグで最下位を争うようなチームだったんです。
横山:そうなんですね?
林:そうなんです。予算もほとんどなくて。で、突然このチームをJリーグに上げてほしいという話がありまして。
甲木:無茶ぶりですね!
林:「えーっ?Jリーグですか?」と。のちにギラヴァンツの社長になった原憲一さんと、「どうしたらJリーグにいけるか?」ということを考えながら、いろいろとやりました。もう、「難しいなぁ」「ダメだな」と何回も思ったんですけど、なんとか諦めずにやってきまして。そして転機になったのは三浦泰年さん、当時アビスパにいて、私の友達だったんですけど…。
横山:三浦泰年さんが友達だったんですね?
林:はい。泰さん(三浦さん)に「選手に喝を入れるために、一回練習見に来てよ」と言って、一日見てもらったんです。そこであと二敗で九州リーグから落ちるぐらいのところからギリギリ残りまして。その後に泰さんの紹介で与那城ジョージ監督を紹介してもらい、彼のおかげで、JFLで優勝して、J2に行くことになりました。
甲木:なるほど。もとはと言えば、林さんが三浦泰年さんとお友達だったというところからですよね?それがなかったら、多分与那城ジョージさんには繋がっていないですものね。
林:まあ、そういう縁があったんですね。泰さんは、ごま鯖が大好きでギラヴァンツの監督になってからは選手の何人かと家に来てもらってごま鯖を食べてました(笑)
横山:(笑)ごま鯖が繋いだ縁ですね。
林:泰さんは今は鈴鹿ポイントゲッターズの監督で、カズ(三浦知良)と一緒にJ3に上がることを目標に頑張っていますけど。是非上がってほしいと思っています。
甲木:そうですね。カズがプレーする機会が欲しいから鈴鹿に移ると言って、泰さんもいるし、ということでしたよね。
文系から研究開発室長に
甲木:先ほどから何回も出ていますけれども、林さんって、もともとゼンリンの社員さんで、しかも最後は副社長までなられた、とっても偉い方なんですよ。
横山:そうなんですね。
甲木:で、そのゼンリンでのお仕事がいま起業されているコンピュータサイエンス研究所と関連性があるような気がするのですが、その辺についてお話を伺ってもいいですか?
林:僕は法学部の出身で、ゼンリンがコンピューターで地図を作るという開発を日立製作所さんと検討していた頃に営業本部にいたんです。それでオブザーバーでその検討会を聞きにいったのですが、そのときにたまたまうちの部長さんたちが誰もメモをとっていなくて、社長への報告書が書けなくなりました。そこで「林君、何かメモをいっぱい取っていたけど、報告書を書いてくれないか」と言われて。「分かりました」ということで、「コンピューターマッピングの現状と将来展望」という内容で、15ページぐらいの論文風にまとめて「これでいいですか?」と渡しました。そしたらその一か月後ぐらいに社長から呼ばれて、「これは君が書いたのか?これをやることしたから、君がやりなさい」と言われまして、それで研究開発室長になったんです。
甲木:多分就職されたときは、文系の出身ですし紙の地図の会社で勤めると思われて営業とかされていたと思うんですけど、それがいつの間にか研究開発室長になり、結果がいま、ということになるのですね?
林:そうですね。僕はもともとゼンリンの会社に入るつもりはなくて、たまたまいろんな縁があったのですが、30歳になるまでに辞めて、小説家になりたかったんです。
甲木:ぜんぜん違うじゃないですか(笑)
林:だからある意味、書いたり伝えたりすることは得意だったんですが、辞めるつもりだったのが、人間万事塞翁が馬ではないですが、ちょっと最初の自分の目標とは違うところまで来てしまったんですけど。まあそれでも、今までやってきたことが少しは社会の役に立ってきただろうし、ある意味会社を変える一つの、大きな変革の一部を担うことができたなということで、まあ悔いはないんですけどね。
甲木:なるほど。私たちも会社員なので意に沿わぬ人事異動があったり、思いもかけぬ分野を担当することになったりはありますけど、やはり林さんみたいに行った先行った先で自分の目標をちゃんと見つけられて、さらにその先の目標とか夢までちゃんと見つけていらっしゃるということは非常に参考になります。まあ65歳と言わず72歳とか84歳まで頑張ろうかなという気持ちになります。今回は八幡東区東田のIT企業、コンピュータサイエンス研究所長の林秀美さんにお話しを伺いました。どうもありがとうございました。
林:ありがとうございました。
横山:ありがとうございました。
〇ゲスト:林秀美さん(コンピューターサイエンス研究所社長)
〇出演:甲木正子(西日本新聞社北九州本社)、横山智徳(同)
(西日本新聞北九州本社)
からの記事と詳細 ( サッカーと研究開発、両分野で大きな貢献/コンピューターサイエンス研究所社長・林秀美さん - 北九州ノコト )
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