学校での悩みを相談し励まし合った日々、廊下で騒ぎすぎて先生に怒られた夜・・・。
瀬戸内海の離島・中島にある中学校には、近隣の島から通う生徒が暮らすための寮があります。
かつては130人以上が生活をしていたといいますが、今年度の寮生はたった2人だけ。
この春、1人が卒業し島を離れました。彼らの最後の日々を見つめました。
(NHK松山放送局 岡嶋彩加)
旅立ちの春
「美しい海や山、いつも温かく見守ってくださる島の人たち、ふるさと中島は私たちの誇りです」
3年間過ごした中島に送る卒業生のことば。
体育館には門出を祝う校歌が響きます。
全校生徒25人の中島中学校は、この春10人が卒業しました。
卒業生の1人、白井彰星さん。
ひときわ力をこめて冒頭のことばを語った白井さんは、中島の隣の二神島出身です。
中学入学と同時に親元を離れ、3年間寮で過ごしてきました。
白井さんを見送る2年生の天満優麻さん。
天満さんは怒和島の出身。
2人は、学校に隣接する寮で生活を共にしてきました。
離島・中島にある“生徒寮”
2人が寮生活を送るのは瀬戸内海に浮かぶ中島。
松山市からフェリーで1時間ほどかかる離島です。
温暖な気候を生かしたかんきつの産地として知られています。
冬は島全体がオレンジ色に染まり、青い海との美しいコントラストを織りなします。
多いときは1万5千人ほどいた島民も、少子化や島を離れる若者の増加により今では2400人ほど。
みかん農家の担い手も減り、後継者不足が問題になっています。
中島中学校は、みかん畑に囲まれた自然豊かな場所にあります。
島を一周するサイクリングや、海で環境について学ぶ授業など自然を生かした教育を行っています。
中学校のすぐ隣には、近隣の島に住む生徒が暮らすための寮「青潮寮」があります。
中学校に寄宿舎があるのは、松山市では中島中学校のみ。
愛媛県内には中等教育学校を含めると5校あります。
昭和38(1963)年に設立された「青潮寮」はこれまで670人の寮生を送り出してきました。
かつては最大134人の生徒が生活していましたが、年々寮生の数は減り今年は2人だけになりました。
支え合った寮生活
3年生の白井さんは、入寮したころは集団生活や片づけが苦手で、宿直の先生や寮母さんに
よく怒られていました。
天満さんは、ちょっぴりてれ屋で漫画が大好きです。
2人が寮で暮らすのは、平日だけ。
月曜日の朝、自宅がある島からフェリーで登校し、金曜日の夜に戻ります。
寮では規則正しい生活を送っています。
起床は6時20分、15分後には登校時の服装で点呼を受けなければいけません。
掃除や洗濯も自分で行います。
白井さん
「掃除は2人だけで分担してやるので大変だけど、1人暮らしで大切なことが身につきます」
寮に帰った後は、毎日食堂で1時間40分の自習を行います。
授業でわからなかったところを先輩の白井さんが天満さんに教えることもありました。
天満さん
「授業でわからなかったところを 分かりやすく教えてくれます」
夜8時すぎからの休憩時間は2人の大きな楽しみ。
テレビゲームやスマートフォンはありませんが、先生や寮母さんと一緒になってカードゲームやレクリエーションをして、いつも大盛り上がりでした。
夏の夜には一緒にホタル鑑賞。
ほとんど明かりがなく波の音だけが聞こえる中、周囲を飛び交う幻想的な光は忘れません。
天満さん
「すごくたくさん飛んでいて綺麗でした。入ったときは不安で、周りの人と積極的に話さなかったんですけど、積極的に話せるようになりました。(白井さんは)うるさいですけど明るくて一緒にいたら面白い人」
感謝の動画をサプライズプレゼント
天満さんは、白井さんへの感謝の気持ちを込めて動画を制作することにしました。
放課後、教室に残り、2人で過ごした日々を振り返ります。
近くの海岸でのバーベキュー、サンタの衣装で楽しんだクリスマス会、そして寮での日常・・・。
写真には、濃密な日々が写し出されていました。
出来上がった動画は卒業の2日前、白井さんにプレゼントされました。
白井さん
「懐かしいですね、2人で走り回ったのが特に楽しかったです。やっぱり優麻がいたから今の自分がいるって思います」
ついにお別れのときが
3月17日。
お別れのときがやってきました。
卒業式を終えたあと、2人は寮へ戻り、「退寮式」を行います。
どこか、そわそわとする2人。
表情にこそ出しませんが、その様子から心の中には、それぞれの思いが駆け巡っているように見えました。
それぞれが、何日もかけて考えた言葉を送ります。
「彰星さんと過ごした寮生活は、毎日が騒がしくとても楽しいものでした。時には部屋で大声を出しすぎて先生に怒られたり、ふざけて遊んでいたらカイロの中身が散乱して一緒に掃除したり、今では良い思い出です。入寮した当初、何をしたらよいのかが分からず困っていたら、彰星さんが優しく教えてくれたおかげで寮の生活になじむことができました」
「寮生が2人だけになってから、自分から行動したり最後までやり抜いたりする力がつきました。優麻さんと寮生活を送ることができて楽しかったです」
退寮式の最後、会場には「寮歌」が流れました。
その歌詞には
「豊かな自然にかこまれて 楽しさ苦しさ分かち合う」とあります。
2人は、まさにその歌詞のように過ごしていたんだと感じました。
決意
白井さんはその日の午後、フェリーで中島を後にしました。
デッキの上で色とりどりのテープを握りしめながら、最後に声をあげます。
「みんなー、ありがとうー」
今回の取材中には聞いたことがなかった、大きな、大きな声でした。
その声に応じるように、真っ先に駆けだしたのは天満さんでした。
去っていく白井さんを見つめる表情には、強い決意があふれていました。
天満さん
「さみしいけれど、彰星さんから学んだことを生かして、4月からは寮長として頑張りたいです」
天満さんは、4月から寮長として、5人の新入生を寮に迎え入れることになっています。
白井さんは松山市内の高校に進学し、陸上部に入る予定です。
白井さん
「寮や中学校で身につけたことを高校生活にも生かしていきたいです。将来の夢は自衛官です。大きな災害が起こった時に人を助けたい」
新たな取り組み
4月に「青潮寮」に入る5人は、実は近隣の島の出身ではありません。
中島中学校では令和4年度から、新たに松山市全域から生徒を募集する制度を始めたのです。
「生徒の数が減って、多くの子どもたちが自立して巣立っていった寮の伝統を絶やしたくなかった。松山市の協力も得ながら、少人数である利点を生かして、たくさんの活躍の場を提供したり、中島ならではの自然を思いっきり体験できるような教育活動をしていきたいと思っています」
中島の自然の中で、支え合いながら成長していく2人の姿が印象的でした。
てれ屋な天満さんは、感謝の気持ちを白井さんに直接伝えられずにいましたが、退寮式で、まっすぐ気持ちを伝え、最後には一番にフェリーを追いかけていく姿がとても頼もしく感じました。
4月からは白井さんのように、後輩たちを引っ張っていく立派な寮長になってほしいです。
からの記事と詳細 ( たった2人の生徒寮 別れの退寮式 瀬戸内の離島・中島|WEB ニュース特集 愛媛インサイト - nhk.or.jp )
https://ift.tt/pV7nSmo
No comments:
Post a Comment