移籍加入時のコメントに「任天堂、ゴジラ、サムライ」。今年7月にドイツ2部のザンクトパウリから横浜FCにやってきたGKスベンド・ブローダーセンが示した日本への愛着は、大きな話題を呼んだ。ドイツ代表として出場した東京五輪終了後、さっそく新天地のピッチ上でチームに欠かせない存在となっているブローダーセンに単独インタビューを行い、溢れる日本愛を存分に語ってもらった。(取材・文:舩木渉)
●来てみてわかった日本の魅力 ――お忙しいなか、インタビューの時間を取っていただきありがとうございます。今日はよろしくお願いします。 「よろしくお願いします。はじめまして、スベンドです」 ――日本語、すごくお上手ですね。すでにひらがなやカタカナは読めるそうですが、もうだいぶ日本語を喋れるようになってきましたか? 「ちょっとね。話せます。ムズカシイね(※ここまですべて日本語で回答)」 ――東京五輪から数えると来日してから2ヶ月強になります。日本での生活、Jリーグでの日々はいかがですか? 「ヨーロッパやドイツとはだいぶ違いますが、日本での生活はとても楽しいです。僕は電車に乗るのが好きなんですが、いつも時間に正確に電車が来るのはヨーロッパと大きな違いですね。あとは公衆トイレも、ヨーロッパだとお金を払って利用しなければいけないですが、日本では無料で、しかもきれいです。とても快適に過ごせています。日本のみなさんはとても親切で、英語などを使ってコミュニケーションをとろうとしてくれるので、ありがたく感じています」 ――確かにドイツの電車はなかなか時間通りにこないですよね…。 「ドイツの電車はダメダメですよね(笑)。なので、日本の電車や交通システムの信頼を置ける点は、すごく好きなところです。ドイツの場合は街を歩いていても、公衆トイレを使っても汚いところが多いですが、それに比べて日本はあらゆる場所がとてもきれいなことに感心しています。日本に来て改めて、ドイツが汚いんだということを思い知らされました(笑)」 ――横浜FC加入時のコメントを読んでも、日本好きなことがよく伝わってきました。日本に興味を持つきっかけはなんだったのでしょうか。 「ドイツとは全く違う環境ですが、電車に乗っても、庭園に行っても、日本の美しさや『わび・さび』を感じています。どこも雰囲気はパーフェクトですね。今はあまりやっていないですが、子どもの頃から任天堂のゲームをやったり、いろいろな日本のアニメを見たりしていました。それも日本の文化に触れ、興味を持つきっかけでした。 今は日本語を勉強していて、その響きも素晴らしいと感じています。もっと学んで、昔見ていたアニメをドイツ語ではなく日本語で見るのが目標です。立ち止まって街の標識などを見てみると全く別の惑星に来たように感じることもあるので、さらに日本を好きになっています」 ●自然に触れていた「日本」に気づき… ――ゲームやアニメを通して、「日本」を初めて意識するようになったのはいつ頃ですか? 「ちょっと遅かったと思います。12歳か13歳の頃ですね。それまでは日本のゲームをやったりアニメを見たり、遊戯王のカードゲームで遊んでいたりしていても、それが日本のものだと意識していませんでしたが、中学生になった頃に『これは日本のものなんだ!』と気づきました。 もう1つ言うと、僕は『ゴジラ』の映画が好きだったのですが、当時はどこの国の作品か知らなかったんです。『ドイツで流行っているハリウッド映画に出てくるのはいつも西洋人なのに、何でゴジラは東洋人が出てくるんだろう?』と思っていました。それが日本だったんだというのにも気づいて、さらに興味を持ちました」 ――スベンド選手は決闘者(デュエリスト)だったんですね。僕も昔、遊戯王のカードゲームで遊んでいたので、とても懐かしいです。 「僕の印象に残っているのは『神のカード』と言われていたモンスターたちですね。『オベリスクの巨神兵』や『ラーの翼神竜』、そして『オシリスの天空竜』。カードゲームで遊んでいた頃は『ブラックマジシャン』や『ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン(青眼の白龍)』なども使っていましたし、たくさんのカードのことを覚えています。『エグゾディア』もありましたよね。もちろん遊戯や海馬、城之内、ペガサスといったキャラクターも全員よく知っていますよ。今はもうカードゲームはやっておらず、アニメを見ていたのもだいぶ昔のことですが、カードを見せてもらえれば思い出すものはたくさんあると思います」 ――スベンド選手が子どもの頃、遊戯王のカードゲームはドイツで流行っていたんですか? 「とても流行っていました。小学生の頃は、僕の友だちだけではなく、学校全体に遊戯王カードで遊んでいる生徒がいました。一部だけでなく、ドイツの同じ世代の子どもたちはみんな知っているのではないでしょうか。学校の授業と授業の間の休み時間になると、みんな慌ててカードを出して遊んでいました。左腕にデュエルディスクをはめて『ドロー!』という感じで(笑)」 ●少年時代から知っていた2人の日本人選手とは? ――日本のアニメもご覧になっていたそうですが、子どもの頃に好きだった作品は何ですか? 「僕が見ていたアニメは『遊戯王』に『ポケモン』、あとは『ベイブレード』です。『ベイブレード』はおもちゃでも遊んでいました」 ――ゲームやアニメを通じて日本に興味を持ったということですが、日本のサッカーについて知っていることはありましたか? 「ドイツでも『ミウラ』は有名でしたが、それが『キングカズ』のことだとは知りませんでした。最初に横浜FCのクラブハウスに来て『ここがカズさんのロッカーだよ』と言われたとき、ドイツでは『ミウラ』と呼ぶのが一般的だったので、『カズって誰?』となってしまいました(笑)。『ミウラ』と『カズ』が同一人物だと知り、『マジか!』と言う感じで。 僕は子どもの頃、セルティックのサポーターだったので中村俊輔選手のことも知っていました。でも、日本のサッカーについて知っていることは限られていましたね。ザンクトパウリでチームメイトだったリオ(宮市亮)には『日本とドイツのサッカーは競技として全く違う』という話を聞いていましたが、『何で?』と言っても、彼は詳しく説明してくれなかったです(笑)」 ――横浜FCへ移籍するにあたり、宮市亮選手が力を貸してくれたそうですね。 「リオとはロッカーが隣だったので、普段からよく話をしていました。そこで『日本に移籍したい』と相談したら、日本の仲介人を紹介してくれました。日本のクラブをどう探したらいいか、どう契約したらいいかなどもリオに相談しながら、仲介人とも協力して移籍を進めていきました」 ●「Jリーグ移籍のために動き始めたのは…」 ――ドイツ代表として東京五輪に出場し、そのまま日本に残って横浜FCでプレーし始めました。Jリーグへの移籍が先に決まっていて、ドイツ代表に選ばれたのか、あるいはドイツ代表への招集が決まってから横浜FCと契約したのか、改めて移籍の経緯を教えてください。 「東京五輪出場が横浜FC移籍に深く関わっていたわけではないんです。Jリーグ移籍のために動き始めたのは昨年12月のことでした。リオに相談して仲介人とともに半年前から準備を進めてきました。もともと東京五輪に向けたドイツ代表のラージグループ(招集候補リスト)には入っていて、横浜FCとの契約にサインした後、正式に五輪出場メンバーに選ばれて、来日することになりました」 ――スベンド選手にとってドイツ代表の一員として戦った東京五輪はどんな経験でしたか? 「五輪というのは全てのアスリートにとって夢の舞台だと感じていました。選手村には、自分の部屋を出たら他の国の様々な競技の選手たちがいて、いろいろな話を聞くだけでも素晴らしい経験になりました。世界中のあらゆる競技の選手たちが集まり、そこにはすごく平和な空気があって、みんなが『国の代表として集まっているんだ』という気持ちがよく現れた場所でもありました。もちろん僕は男子サッカーのドイツ代表として参加しましたが、他競技のドイツ代表選手たちとも手を取り合って、自分たちが1つのチームだと感じることもできました」 ――Jリーグにはアンドレス・イニエスタ選手やトーマス・フェルマーレン選手もいますが、彼らは選手としての全盛期を過ぎたベテランです。20代前半にヨーロッパの強豪国から日本へ移籍する選手は決して多くありません。スベンド選手はなぜ、24歳というタイミングでヨーロッパを離れてJリーグ挑戦を決断したのでしょうか。 「ドイツで6年間プロを経験し、他のクラブの選手などとも話をするなかで、GKのトレーニングなどはヨーロッパだとどこもあまり変わらないと感じていました。なので、何か新しいものを学びたいという思いが常に頭のなかにありました。また、ザンクトパウリは2部リーグのクラブだったので、1部リーグでプレーしたい気持ちが強かったんです。 もちろんヨーロッパでプレーを続ける選択肢もありましたが、1部リーグでプレーできる環境と、昔から興味のあった日本でプレーする可能性を探るなかで、横浜FCとの契約に至りました。Jリーグに来て、自分が思い描いていたキャリアを送れているので、自分の決断にはすごく満足しています。僕はまだ24歳と若いので、いろいろなものを吸収できるという意味でも、この年齢で日本に来ることが重要だったと思います」 ●レジェンドと同僚に「カズさんは僕の母より…」 ――日本に来て初めてのクラブで、昔から知っていた三浦知良選手や中村俊輔選手とチームメイトになったのは巡り合わせですね。 「びっくりしましたね。名前を知っていた数少ない日本人選手が同じクラブにいるなんて! 香川真司選手をはじめ、もちろんドイツでプレーしていた日本人選手のことは知っていますが、カズさんとシュンスケさんはドイツでプレーしたことがない日本人選手で名前を知っていた、たった2人の選手ですからね」 ――三浦選手と中村俊輔選手が横浜FCに所属していることは、契約前から知っていましたか? 「横浜FCから興味を持ってもらった段階でクラブについて調べたら、中村俊輔選手の名前はすぐに見つけることができました。ドイツにいる知人から『横浜FCはミウラが最年長選手としてプレーしているクラブだよ』とも言われていたので、来日前から2人の存在は知っていました」 ――横浜FCには経験豊富な選手がたくさんいます。三浦選手や中村俊輔選手から学んだことはありますか? 「カズさんは僕の母より年上なんです。父よりは若いですが、同世代ですし、父のコンディションを考えればカズさんは驚異的です。毎日ハードワークして、練習に臨む姿勢には感銘を受けます。カズさんは英語も堪能なので、自分に声をかけてくれて、言葉で自信を与えてくれます。シュンスケさんも、40歳を超えていながらテクニックや視野、判断力は全く衰えることなく、僕が止められないようなシュートを今でも蹴ることができます。シュート練習をやってもゴールの角に鋭いボールを蹴ってきますよ。彼ら2人のいつまでも衰えない技術や知性からは、見習うべきことが多いと思います。 もちろん2人だけでなく、横浜FCのみんなが自分のことを気にかけてくれています。イノさん(伊野波雅彦)とは一緒にご飯に行ったり、オフに外で会ったりしました。自分は今1人で住んでいますが、みんなが自分のことを気にかけてくれるので、孤独を感じずに過ごせています」 ●「もっと日本を知って、日本人に近づけるように」 ――横浜FCはまだまだ厳しい戦いが続きます。このクラブで成し遂げたいことや、日本での目標はありますか? 「僕はこのクラブが大好きなので、できる限り長くこの地にいたいというのが個人的な目標です。また、自分に対して信頼を寄せてくれるクラブに対して、恩返しをしなければけないと思っています。それはJ1残留を果たすことです。この2つの目標を掲げてプレーしています」 ――日本に連続して5年ほど住むとパスポートを取得して帰化することもできます。将来的にはドイツ代表ではなく、日本代表としてプレーすることを考えたり、イメージしたりすることはありますか? 「まだ日本語を喋れないので、まずは読み書きや会話など、語学力を高めなければいけないですね。あとは日本の文化を全て受け入れ、日本人のように行動できるようならなければいけないですし、自分が望むだけでなく、日本が僕のことを受け入れてくれないと日本人にはなれないと思います。ただ、何年か経って『日本代表になりたい』という気持ちが芽生えてきたら、ぜひ検討したいと思っています」 ――これからピッチ外でトライしてみたいことはありますか? 「まずは日本語力をできるだけ伸ばしていきたいと思っています。もちろんネイティブ並みには難しいかもしれませんが、今話しているような英語くらいのレベルには持っていきたいです。日本語がわかるようになれば、日本の文化をもっと深く感じられるようになるはずです。そして、いろいろな場所にも行ってみたいです。 横浜では、三渓園や臨港パーク、港の見える丘公園、みなとみらい、赤レンガ倉庫などはすごく気に入っています。まだチャレンジしていないですが、みなとみらいに水中へ突っ込んでいくようなジェットコースターもありますよね。カップヌードルミュージアムや、新横浜のラーメン博物館にも行ってみたいです。もっともっと日本のことを知って、日本人に近づけるように毎日頑張っていきたいと思います」 (取材・文:舩木渉)
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